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うしブログ

Geogebraの使い方、応用など

(思考メモ)感情に理由をつけることの愚かさについて

自分の感情を正当化する理由探しほど貧乏で醜い理性の使い方もない。

どうしてせっかく自分自身の感情を、生まれたそばから他人行儀な理由なんかで塗ってしまうの?
自分で自分を消しているようなものじゃないか。

 

考えてもみなされ。社会に生きていると、自分の行動にはどんな社会的意義があって、どんな責任が伴うのかが常に問われる。説明を求められたら、常に客観的な理由をもとに説明できる用意ができていないといけない。

なんで遅刻したの?

この案件はどう処理すればいい?

君は明日は何をしているの?

どれも、自分のことを聞かれているわけじゃない。社会に生き、一定の役割を担う一人の人間としての説明を求められている。矛盾しているようだけれども、社会的文脈で自分の行動を説明しているとき、実はそこに自分は存在していない。

こうやって、他人を納得させるために自分のことを理由付きで説明してばかりいると、自分がどんどん他人行儀な社会的存在に置き換わっていき、自分が消えていく。

そんな中で、唯一客観的な理由付けを要求されないものがある。自分の感情だ。

社会は本質的に、個人の感情を超えたところにある。嫌なことも、社会に生きる自分は何らかの理由にもとづいてやる。社会における自分の行動に、内心の感情は関係ないし、社会が関知するところではない。

だから、感情は唯一、他人行儀なことばで理由をこしらえてやる必要のないものだ。自分の中で唯一、自分であり続けられる部分だ。

そんな貴重なものに、わざわざ理由を施して正当化するの?

いよいよ自分が消えてしまう。

自分の感情くらい、ハダカの付き合いをしようや。