(お遊び記事)もし「1+1=0を弁護しなさい」と言われたら?
くだらない記事は、いくらでも書けますね(笑)
問: どんな屁理屈を並べ立てても良いから、1+1が0であると主張する人を弁護しなさい。
— うし (@usi_desu) November 17, 2019
有利な前提を持ち出す
・実はこれはベクトルの演算でして、長さ1のベクトルと、長さ1のベクトルを足したんです。今回は向きがちょうど反対だったので、0になったんです。
・例えば、あなたが僕にペンを1円で売ったとしましょう。売上1円ですね?僕はそのペンをあなたに1円で売ります。売上1円ですね?2人からなる経済全体があげた売上合計は1+1です。しかし、資産が増えたわけではありません。このように、1+1が0になる場合も十分に考えられるところ、彼はそういった場合を念頭に発言したのです。
・論理学においては、false⇒1+1=0はtrueであるとされております。したがって、1+1が0であるというだけで、直ちに誤りであると断ずるのは不当であります。彼が何を前提として、このような発言をしたのか、精査しないことには、何も分からないということです。
・ここにいう1+1というのは、通常の意味(1に1を加えるという計算)ではなく、数量0を表す呼称としての「いちぷらすいち」であります。彼は幼い頃から、0のことを1+1と呼び習わしています。彼の発言は、「1+1といえば0のことだよね」という意味であり、決して数学的計算とその結果との関係を言ったのではありません。
主観論に持ち込む
・数学では1+1は2なのかもしれませんが、彼にとっては1+1は0なんです。一個人の発言なのだから、その個人の思想や主観を反映しているのは当然であり、それは尊重されるべきです。
誤りは認めたうえで擁護する
・2進法で計算していたのですが、紙面が足りず1の位しか書けなかったんです。
・2を5万や10万と間違えたならともかく、0と間違えたというのですから、とりたてて非難するほどのことでもないですよね。
・確かに彼の発言は誤っていますが、その当時、彼は何者かによって、無理矢理に酒を大量に飲まされており、自分の発言が正しいか誤っているかについて、正常な判断能力を有していませんでした。したがって、そんな彼を責めることはできません。
開き直る
・たしかに1+1は0ではありませんが、彼がその点について誤っていたとして、一体誰が損をしたというのでしょうか。むしろ、彼の発言は、1+1が0ではないということを公衆に再認識させ、数と演算の概念について再考する機会を与えるものであり、学問的寄与が認められるのではないでしょうか。