〔覚書〕情報処理と思考の記録(思考の成果を最大化するために)
<インプット>
声→意味
文字→声→意味:時間がかかる
文字→意味
<アウトプット>
意味→声→文字
意味→声
<頭の中での思考>
意味、声、文字、画像、色、音、...。
人に伝える「よそ向き」に完成された形ではない。
文節だけだったり、単語の羅列だったり、矢印や簡単な図表だったり、概念のリストだったり。パーツがぽろぽろ見え隠れする。
→これをきれいな「よそ向き」の文章に落とし込む作業は、割と大変。落とし込み作業に気をとられ、思考が止まり、「さっきなに考えてたんだっけ」となってしまう。
かといって何の媒体にも記録せずに思考だけを続けても、あれ?これ?と頭の中で悩むばかりで、いつまでたっても決着がつかない。だらだらと時間が過ぎてしまう。
新鮮なまま思考を記録するには、白紙にペン。ことばでも図でも絵でも線でも自由に使えるから、思考を邪魔することなく、すばやく、ありのままに記録することができる。
※このレベルですら記録できないような思考は、「よそ向き」に清書する価値のない思考である、と思い切ってしまうのも良いかもしれない。
きれいな文章に落とし込むのは、記録が済んでからでよい。
むしろ紙の上でペンを走らせながら思考をする癖をつけると、頭の中でだらだら悩む時間が削減されて、また見返したり整理し直したりすることも出来るから、良いかもしれない。
思考を記録した紙自体は、自分にさえ分かればそれでよい。「よそ向き」に分かるように整えるのではなく、自分の頭の中の思考をいかに劣化させずに、そのままの形に近く記録できるか、という点に力を入れる。
講義・読書で情報をインプットする際にも、自分の頭の中での理解のしかたを紙に記録しながらインプットするといいかもしれない。